〈七夕人形〉 |
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長野県松本市では「七夕人形」を飾る風習があります。 また、黒部市尾山地区や新潟県糸魚川市根知地区・山梨市市川地区・姫路市などにも同様の風習があり、これらは「禊払(みそぎばらえ)」で盆迎えの祓のヒトガタであり、夏越しの祓のヒトガタと考えられ、
これは、滑川のネブタ流しと同様に現世の厄をヒトガタに託し流し去る意味合いを含んでいますが、これだけでなく、七夕人形に「着物が上手に縫えますように」「着物を着せてもっと良い着物が返ってきますように」「子供が無事に育ちますように」といった「貸し小袖」の言い伝えも含まれています。 |
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| <七夕紙衣> |
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七夕人形に似たものに、「七夕紙衣」があります。
この紙衣は仙台をはじめ京都など、多くの地方に見ることが出来ます。 |
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これは、七夕人形や「ねぶた」のような「厄払い」の意味合いよりも、より「貸し小袖」の意味合いがより強く含まれています。 |
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「たなばたさん」という神様に着せる小袖を作り、着物の裁縫が上手くなるように祈る。小袖を飾り「たなばたさん」に子供の健康や衣装に恵まれる事を祈る。 |
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これは、古代において伝えられた「棚機つ女・タナバタツメ」の古事が形を変えて七夕の祭事として広まった結果のものといえるで、「厄払い」の風習とは趣を異にしています。 |
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| <七夕馬> |
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関東地方を中心に、七夕にわらで作った馬や牛を飾る風習があります。 |
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これは盆にナスやキュウリで馬や牛を作るのと同じ目的で、精霊(たなばたさま)や祖霊を迎えたり送り出すのという役割を持たせたという言い伝えがあります。 |
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この場合、「七夕人形」や「七夕紙衣」のような「貸し小袖」といった意味合いとは異なり、農耕儀礼的な意味合いが強いものといえます。 |
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〈日本の七夕についてのまとめ〉 |
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江戸時代以降に一般化した「星まつり」以前の七夕は、「牽牛・織女」の内容とはまったく関連がありません。
また、古来からの七夕風習も、宗教的なものと農耕儀礼的なもの、それと、神事的なものや土着儀礼的なものが混ぜ合わさりさまざまな形態が見られます。
これに「星まつり」の形態が混じり、一言で「七夕まつり」といってもこれほど複雑で変化の多い行事も例を見ませんし、「たなばたさま」を奉るにしても「何を奉っているのか」は風習によって異なるというのが本当のところなのです。 |
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まつりとしての「七夕」が日本各地で形を変えて存在するように、「七夕」の風習にもさまざまなものが存在します。
静岡県内の風習として伝えられているものを中心に紹介すると・・・ |
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七夕の日には田んぼに引き入れる沢の水で髪を洗った(静岡市清水区小河内地区) |
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里芋の葉に溜まった朝露で墨を摺り、短冊に願いを書いた(静岡県全域) |
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日本全域で行なわれてきた風習と同じものもありますが、静岡県独自の風習ともいえるものも見受けられます。 |
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静岡県西部の新居町では、庭に短冊を吊るした竹笹を立て、台に初物(スイカ・カボチャ・さや豆・なすなど)を備え、翌日には海や湖・川(浜名湖)に流したという風習があったそうです。
また、七夕の夜には子どもたちが「ほおずき提灯」やスイカ・カボチャ・とうがんなどをくりぬいた手製の提灯を持って、「チョーチンバイバイ ジロサノバイバイ」と言いはやしながら町内を歩き回ったといいます。(新居町史より) |
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また、静岡県中部の岡部町では、七夕の夜、おこわ(赤飯)を炊き、その年に収穫したナス、ウリ、カボチャ、しょうが、豆などを縁台に乗せ、まるで中秋の名月の月見のように、「たなばたさま」にお供えするという風習が一部の地域で残っています。 |
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あと、静岡県中部では、七夕の飾り(笹飾り)を田畑に飾ったり、七夕の夜に飾った竹飾りを翌日田畑に飾りなおすということも行なわれていたそうです。 |
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このように、現在ではあまり見ることのできない静岡県ならではの七夕の風習ですが、これらの風習は「たなばたさま=田の神様」 という形で七夕さまをとらえているのが特長です。 |
| なお、岡部町では、7月7日には「たなばたさま」(たなばたのおばあさんという説もあり)=田の神様が降りてきて、田の水口(田んぼに水を引き入れる場所)を通って田の見回りをして歩くので、田の水口に立った杭を抜かなければならない。そうしないと、「たなばたさま」が転んでしまい、田に災難が起こる(収穫量が減ってしまう)と伝えられてきたそうです。(この風習は昭和40年ごろまで行なわれていたそうです) |
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